Profile

Sun Ship – サンシップ

サンシップは1997年に結成。初期メンバーから多少の変遷があり現在のメンバー、並木崇(ss,ts)、村上俊二(p)、川崎聡(b)、北村和重(ds)に落ち着く。

バンド名はジョンコルトレーンのアルバム、サンシップに因んでつけられる。
バンドカラーはコルトレーンの影響も感じられるが、サンシップ独自の色合いが強く、アグレッシブで、且つ叙情的である。2011年より、エモーショナルなアルトサックス奏者のゲバラを加えた5人編成、サンシップ ウィズ ゲバラでの活動も行うようになった。

そのバンドサウンドはますますパワーアップしている。

 

並木 崇(Takashi Namiki)TS,SS
千葉県出身、東京商船大学在学中は大学が門前仲町にあったことから、「門仲のエリックドルフィー」の異名をとる。卒業後一度は教職に就くが、ジャズミュージシャンとしての人生を選択する。スピード感と泣きのあるサックスは年齢や音楽ジャンルを問わず聞き手を感動させる。

 

川崎 聡(Satoshi Kawasaki)B
新潟県出身。大正大学在学中ジャズ研究会をきっかけにジャズミュージシャンとなる。ストイックなまでの情熱をあふれるままに放出するかのような演奏スタイルは、見るものを圧倒する。アルコ(弓)を駆使したパワフルでアグレッシブな攻めのアドリブ、自己の内面をしっかりと見つめ深い優しさを感じさせるアドリブを展開する。

 

村上 俊二(Shunji Murakami) P
愛媛県出身。今治西高校卒業後ジャズプレイヤーを志し、地元で活動、85年上京、ミュージックカレッジメーザーハウスでさらなる研鑽を積む。演奏、楽曲ともにダイナミックさやドラマチックさが特徴。清水賢二「万有韻力」、「吉田隆一バンド」、「村上カルテット」、7人編成のバンド「ミカラム」を経て「Sun Ship」を結成、また近年トランペットにも着手し自己のユニット展開は多岐に渡る。

 

北村 和重(kazusige kitamura) DS
福井県出身。東京商船大学、大学院卒。在学中よりジャズ研究会に所属、1992年「ラサーン・オーケストラ」でデビュー、「清水ケンGバンド」「並木崇バンド」「村上俊二カルテット」等参加。落ち着き感のあるリズムをかもし出すのが特徴。バンドサウンド全体を大事にした心憎いプレイをする

 

武信Guevara雄次 AS
1950年鳥取県出身、1969年頃からゲバラというニックネームで知られる。
アルトサックスは1971年から独学で習得、そのエキセントリックなプレイにジェレミー・スタイグは「エモーショナル」、またアーチー・シェップは「ビューティフル」と評した。
2009年2月特発性間質性肺炎という難病で生死をさまよい奇跡的に生還、自己の「ゲバラバンド」を中心に活動中。2010年12月よりサンシップのライブに随時ゲスト参加している。

 

『Sun Shipについて知っている多少の事柄』

「サンシップ」は、1997年2月に結成されたノーリーダーバンド。 発足当初のメンバーは、1958年生まれの村上(P)と、1968年から1969年生まれの並木(AS,SS)、川崎(B)、高山(DS)の4名で構成された。2000年11月ドラムの高山退団以降、アコースティック色をより強め、2002年現在はトリオとして、あるいは北村和重をドラムに加えてのカルテットとしてのライブ活動を展開し、発足以来の通算ライブ数は150を越えようとしている。

バンド名は、コルトレーンのタイトル曲にちなんでつけられ、また、東京商船大学のジャズ研の部室を舞台に発足した過程を考えると「船」そのものの存在が比較的身近に存在していた背景があったことも少なからず影響があったのだろうと考えられる。「太陽崇拝」の意味があるなどとわかったのは随分後の事で、メンバー曰く、「ばーちゃんもお天とうさんをおがんどったから、ええじゃろう」てな具合だった。

名前からコルトレーンバンドの影響が色濃いことは簡単に想像できるが、と言ってもけしてコルトレーンの曲をやるバンドではない。ライブは主催側の制約がなければオリジナル曲しか演奏しない。それが何とも、日本人の心を感じるジャズなのである。日本人独特の男気や、湿った空気や、土や草、風、海、太陽のにおい、祈りの様だと表現した人もいる。何の装飾もないステージ上はオーディエンスの空想で一杯になる。

彼らはシャイで、ステージMCも気の利いた話をして笑いを取ったりするタイプではない。せいぜい曲のタイトルとメンバー紹介ぐらいしかしない。主催側に各自のプロフィールを求められ「提出する意味があるのか」と思うほど簡素なのも、そんなことくらいしか公表していないからだ。こんな所にも彼らの人柄が現れているが、スタッフ泣かせで困る。

彼らは常に自己の音楽に真摯に向かい合い、問いかけ、そして自らを解放させるエネルギーはしばしば聞き手の心をも解放してしまう。出口の見えない長いトンネル、あるいは厚い雲の中を方向もわからずさまよい歩く心を、一気に、まるで上昇気流に乗せてくれたかの様に引っ張っていってくれる。わけもわからず引っ張られた心は、やがて雲を突き抜け、浮遊する快感に浸るだけだ。一緒に「泣いて」くれ、一緒に「連れていって」くれる。最初はスタンダード以外の曲を受け入れられなかった人も、やがて自分の気に入りの曲を見つけ彼らのオリジナル曲を心待ちにするようになる。大の男が目に涙をため、女の子は化粧直しに行く、そんな光景も見受けられた。何度も聞いている私でも、足の震えが止まらない日だってある。近頃オーディエンスの間では気に入りの曲をめぐって、「Tomorrow派」だの「Natural派」だの言い合っているらしい。

山口のライブハウス「ポルシェ」で収録されたライブCD(自主制作盤)「Live at “porsche”」を1999年5月に発表、最後の曲(CDでは1曲目)Naturalでは収録のためサックスにつけられたマイクのシールドを並木は勢い余って踏み抜いてしまい、それでも音楽は疾走し続けるサンシップの様子が残されている。99年6月には熱烈なファンの運営によって群馬県大泉村「ぶんかむら」小ホールにて単独コンサートが実施された。

毎年8月開催の上越市「高田公園ジャズフェスティバル」に98年から2000年まで連続出演、また99年8月には東京FMで深夜ではあるが、2時間ノンストップで彼らのごくわずかなトークをまじえスタジオでの演奏を生放送するという異例の試みが行われた。

オーディエンスを見る限り、ここには好きな音楽のジャンルとか、音楽歴やジャズの知識も、ジャズファン歴の長さも、さして問題ではないように見える。もちろん世の中にはいろんな音楽が混在してオーディエンスの好みも色々だ。彼らの音楽の中に圧縮された心のデータ量の多さに「当たって」しまう類の人もいなくはない。ここにあるのは発信する心と、受信する心のみだ。

最後に、曲タイトルのNaturalはとかく自然とかいった意味に解釈されがちだが、彼らの曲の「Natural」は、「あるがまま」といった意味で使われている事を付け加えておく。まだまだ知名度は低く、知る人ぞ知るバンド、という存在か?しかし確実に熱烈なファンは増えつつある。ぜひ一度、彼らの「におい」を直に感じてみることをお勧めする。